ミラノ・スカラ座シルベストロ先生の超高度な歌の秘密 ミレッラ・フレー二、マリア・カラス、プラシド・ドミンゴ、アルフレッド・クラウスなどの超一流から学び、共演してきたその彼らの教えのひとつですが、、、ここまで必要? しかし体の仕組みを知り抜けばもっと良い声が出せるはず!? さらなる向上や世界最高峰の秘密が知りたい方はこちらから!! 歌の深みに更なる発見で、魅惑の声も身につくかも??? 元ミラノ・スカラ座 Baritonoで長年数々の舞台を超一流と共に出演し、かつ専属歌手養成所講師責任者としてミラノ・スカラ座のソリストを教え、実践と経験に基づいたシルベストロ先生の言葉は、何よりも真実に近く、そして、何らかの気づきを与えると思います。 そして、歌う上での道標となるはずです。
【Silvestro Sammaritano(シルベストロ・サンマリターノ)プロフィール】
元ミラノ・スカラ座 Baritono
元ミラノ・スカラ座 専属歌手養成所講師責任者
イタリアシチリアで、厳格な軍人の父と教師の母の間に長男として生まれる。
学生時代、先生にその美声を買われて歌うことがあったが、音楽的の専門教育は受けずに育つ。本来画家志望であったが、不安定な画家でなく大学を出ることを父に命じられ、止む無く経済大学を優秀な成績で卒業。卒業後、義理は果たしたと夢であった画家として29歳まで生計を立て、目下、子育て中であったが、画廊にきた富裕層の貴婦人より、その声を持ってして歌わないのは大きな損失であると言われ、年齢制限を超えているにも関わらず、半ば強引に口添えで、ミラノジュゼッペヴェルディ国立音楽院に入学。パヴァロッティの師でもあるカンポ・ガッリアーニ氏のもと研鑽を積むが、教えることは何もないとすぐ音楽院を出ることに・・・。テノールのジャチント・プランデッリ(Giacinto Prandelli)、アルフレード・クラウス(Alfredo Kraus)両氏のもとさらに研鑽を積み、特に声楽の肝である呼吸法を得とくし、声楽を本格的に学び始めてわずか二年後、ミラノ・スカラ座の専属合唱団入団試験に合格した。スカラ座合唱団にて経験を積みながら、歌唱法、演技等に磨きをかけ、レパートリーを増やし、ヴェルディの声国際コンクール(伊:ブッセート)バスティアニーニ賞受賞(バリトンの声種の最高峰の賞)等数々の著名なコンクールに優勝した。又同時期に、バジレア歌劇場のラ・ボエーム マルチェッロ役でオペラデビュー。
バジレア歌劇場でのデビュー後、ランメンモールのルチアのエンリーコ、リゴレットのタイトルロール等、ヴェルディのオペラを数々こなす。
カヴァレリア・ルスティカーナのアルフィオ、カルメンのエスミーリョ、ドン・ジョヴァンニのレポレッロ等をレパートリーとする。他の世界的有名音楽事務所に所属するも、大御所指揮者クラウディオ・アバドからミラノ・スカラ座で歌わないかと直接電話を受け、1980年ミラノ・スカラ座と専属ソリスト契約を結び、その後1997年にフリーで活動を開始するまでの17年間スカラ座の全てのシーズンに出演(音楽的な下積みなしで、歌の実力のみで、ミラノ・スカラ座舞台のソリストとして立ったのは、2人だけ)。さらには、ミラノ・スカラ座に頻繁に出演を続ける中、その類いまれなる指導力を買われ、クラウディオ・アバドからの熱烈な依頼により、ミラノ・スカラ座専属歌手養成所講師責任者に就任した。これまでに共演した主な指揮者は、バーンスタイン、ジュリーニ、ムーティ、オーレン、小澤征爾、シノーポリ、サヴァリッシュ等で、共演した主なオペラ歌手は、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス、クラウス、フレーニ等数多くの著名な指揮者、歌手と共演。
演じたオペラは、イタリアオペラだけには留まらず、フランス、ロシア、ドイツオペラ等多岐にわたる。
さらに、イタリア国内をはじめ、ドイツ、フランス、中国、諸外国からも招聘され、リサイタル等を行っていた。日本での活動は、1981年のスカラ座引越し公演で初来日し、1999年新国立劇場の研修所特別講師を務めた。
1986年年浅利慶太(劇団四季代表)演出、衣装森英恵の伝説的な蝶々夫人ミラノ・スカラ座公演にも出演し、それ以来親しくしており、1990年来日時には初日公演のお祝いの手紙ももらっている。また、後継者育成に積極的に携わっており、現在でもミラノ・スカラ座ソリストの指導を続けている。歌が上手い人間は数多くいるが、指導にはまた別の才能と情熱が必要であるとの持論があり、ミラノ・スカラ座のソリストを指導する責任者であったことからも、指導力は世界1位と言っても過言ではない。実質、ベルカント唱法に相当する(実際にはその定義は深く考えられず、商業的に用いられる)指導には高い評価を得ている。2019年現在は、画家としてミラノで個展を開くほどの実力で、昨年CMにも多数出演。建国の父とも言えるヴェルディにそっくりなため、ヴェルディの映画にも出演するなど、飛行機から降りる際は、皆に手を振られるほどの超有名人である。日本での現役弟子は田川理穂だけであり(それ以外はミラノ・スカラ座ソリスト他)、指導法の全ては理穂に伝えたということで、田川理穂が世界総代理店的な存在になっており、Silvestro音楽院創設に向けて、全面サポートをしている。
1981年、スカラ座での感動的な公演で初来日し、1999年には新国立劇場研修所特別講師を務めるなど、イタリア、ドイツ、フランス、中国などでもリサイタルを開催。
1986年、浅利慶太氏(劇団四季代表)の演出、森英恵氏の衣装でミラノ・スカラ座の伝説の公演「蝶々夫人」に出演し、以後、親交を深める。後継者の育成にも積極的に取り組み、ミラノ・スカラ座でソリストを指導し続けている。歌が上手な人はたくさんいるが、教えるということは別の才能や情熱が必要」というのが彼の考えで、ミラノ・スカラ座でソリストの指導を担当していた彼の指導力は世界一といっても過言ではない。事実上、ベルカント歌唱に相当する指導が高く評価されており(実際には定義は深く考えず、商業的に使われている)、2019年現在、画家としてミラノで個展を開き、昨年は多くのCMに出演しています。建国の父であるヴェルディに似ていることから、ヴェルディの映画にも出演しており、飛行機を降りると誰もが手を振るほど有名です。田川里穂は日本で唯一の現役弟子(他はミラノ・スカラ座のソリストなど)で、その指導法をすべて里穂に伝えているため、田川里穂は世界の総代理店のようになっており、シルベストロ音楽院設立に全面協力しています。