遠い目…
遠い目をして憂いをかもしだしてる? 多分眠いだけ
何が正しくて何が間違っていて、誰が正しくて誰が間違っていて… 昔はそんなこと簡単に感じて判断してた。 最近は若くなくなったからか、ちょっと疲れたからか、スッパリバッサリ斬れなくなってきた。 そんな自分が、らしくない気がしてならない。 私は直感と本能と自分なりの正義感で生きてきた。その自分なりの正義感とやらが、ただの独りよがりなのか、信じて貫いて良い正義感なのか… 自分の気持ちを抑えたところで、やはり心に違和感や雑音をおぼえるということは、府には落ちていないということだ。 イヤなものはイヤ、不愉快なことは不愉快、許せないものは許したくない、そんなことが容易に表現出来ていた頃が懐かしい… 守りに入っているのか…これが大人になるということなのか… もがいています
今でもふと思い出す。 私が大学生のとき。 父が歌の発表会に来た。 多感な年頃で、父が来るのが恥ずかしくて、私はイヤな顔をしていたと思う。 発表会本番で失敗することはあまりなかったのに、私自身その日は気に入らない演奏だった。 しょぼくれて父たちのところへ行ったのに、父はとてもとても嬉しそうに「素晴らしかった」と言ってくれた。 普段から、そんなに言葉に出して表現する父ではなかったから、余計に身にしみた。 恥ずかしさなんて捨てて、沢山発表会や演奏会に呼んであげれば良かった。 あの頃に比べたら、少しは聴ける歌になったかな? いざというときは、いつでも頼もしく、そして、私を応援してくれた。 見ていてくれるかな?今も。 生きていてくれたら、りんりんを私のこと以上に可愛がってくれただろうな。 あの発表会の帰りの夜を、決して忘れない。 無条件に愛して受け入れて育ててくれた父。 感謝して、音楽を続けよう。
めちゃめちゃご機嫌ちゃん
お姑さんが本当に快くりんりんを預かってくれるので、私たちはそのお言葉に甘え、よく頼んでいますりんりんもおばあちゃま大好きで、とてもよく笑うし、沢山遊んでもらって、大満足で帰宅します りんりんを迎えに行くと、お姑さんがご飯を作って待っていてくれたりするので、またまたお言葉に甘えて頂いてしまうのですが、最近ではお姑さんのご飯が『お母さんの味』になり、頂くととても元気になるし、ホッとします。しかも、お料理上手で手際が抜群なので、レシピも聞いたりして、楽しいお夕飯の時間なんです 嫁と姑は血こそつながっていないですが、一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど家族の絆になっていくのですね りんりんを介して益々感じます 音楽をする私を理解してくれて、応援してくれて、有難いです http://mobile.snoopy.co.jp/deco/